気遣いを楽しもう!!
気遣いを楽しもう
気遣いは、人間関係をいい状態にする上で、すこぶる重要だ。
友達との人間関係、家族の人間関係、会社内の人間関係、社会全体の人間関係をいい状態にする上でも重要だ。
だが、重要だと分かっていても、実際に行なえる人は、少ないような気がする。
先日、電車に乗っていた。
シートは全て埋まり、立っている人も何人かいる。
優先席はお年寄りで埋まっていたが、その中に、35歳くらいの女性が座っていた。
見た目は「いわゆる普通の人」だ。
ある駅で、65歳くらいのお年寄りが乗ってきた。
その人は優先席の方へ行き、その「いわゆる普通の人」の前に立っていた。
オイラは、どうなるのか「チラッ、チラッ」と見ていた。
「いわゆる普通の人」は、うつむいている。
「眠ってるフリなんじゃないの~?」と思いながら、オイラは「チラッ、チラッ」と見ていた。
しばらく経っても、「いわゆる普通の人」は、うつむいたままだ。
「気付かないフリなんじゃないの~?」と思いながら、オイラは「チラッ、チラッ」と見ていた。
その状態が20分くらい続いたが、オイラの心の叫びが通じたのか、「いわゆる普通の人」は顔を上げた。
そして、座ったまま、そのお年寄りに「座りますか?」と声をかけた。
だが、そのお年寄りは、「次の駅で降りるから大丈夫よ」と言った。
結局、「いわゆる普通の人」は、席を譲らなかった。
お年寄りは、次の駅で降りるまで、立ったままだった。
気遣いとは何ぞや?
この場合、まず、「優先席に座ってるなら、うかうか眠ってるな!」というのがある。
気遣いをするためには、常に、周りの状況を察知している必要がある。まして、優先席に座っているなら、なおさらだ。
それと席を譲ろうと思うなら、重要なのは、「譲ろうとすること」ではなく、「実際に譲ること」だ。
相手が遠慮することを考えて、「たとえ相手が遠慮しても、確実に席を譲れるやり方」で、席をすすめなければ意味がない。
座ったままではなく、立ち上がって言うべきだし、「座りますか?」なんて「質問」していないで、「どうぞ座ってください」と、はっきり言い切ることが大事なのだ。
さらに言うと、相手が遠慮しても、「どうぞ、どうぞ」と言って、とにかく座らせるのだ。
相手は遠慮するに決まっている。
それを考えて、確実に席を譲るのが、この場合の気遣いなのだ。
また、バスで、たまに見かける光景がある。
詰めて座れば、もう一人座れるのに、なかなか詰めようとしない人がいる。
気遣いとは何ぞや?
人が乗ってきたら、すぐに席を詰めてスペースをつくるのだ。
「ちょっと詰めてもらえますか?」と言われたら詰めるとか、相手が近づいてきたらスペースをつくるということではない。
相手の立場に立って考えれば分かるはずだ。
「ちょっと詰めてもらえますか?」なんて言いづらいし、スペースがなければ、誰も近づいてこない。
何も言われなくても、相手が座れるように、スペースをつくってあげるのが、気遣いなのだ。
また、狭い歩道で相手と行き違うときや、自転車が人と行き違うとき、追い越すとき等に、「ぶつからないから、いいでしょっ!」という感じで、すれすれを通る人がいる。
たまに、「わざとだろ!」っていうくらい、まっすぐ進んでくる人もいる。
気遣いとは何ぞや?
この場合の気遣いとは、相手に不快感を与えないように、また、相手に安心感を与えるように、「ちゃんと気遣いしてますよ」っていうくらいの距離を開けてすれ違うことだ。
こういうときは、「少しオーバーに感じるくらい」「少しわざとらしいくらい」がちょうどいいのだ。
この間、バス停でバスを待っていたら、右から、杖をついた、おばあさんが近づいてきた。
その人は、おぼつかない足取りで、非常にゆっくりと歩道を歩いてくる。
反対からは、自転車が近づいてきた。
どうなるのかと思って見ていると、その自転車は、すれ違うだいぶ前で止まり、そのお年寄りが通り過ぎるのを待っていた。
そして、お年寄りが確実に通り過ぎてから、進んでいった。
オイラは、「ほほ~」と思った。
気遣い。
それは、人間関係をいい状態にするための知恵だ。
互いに気遣いをしなければ、人と人はぶつかってしまう。
物理的にぶつかることもあれば、人間関係がぶつかることもある。
だが、常に、互いに気遣いをしていれば、相手とぶつかることはない。
「気遣いをするのは面倒くさい」と思うかもしれない。
だが、互いに気遣いをしないからこそ、人間関係がストレスになるのだ。
世の中の全ての人が、常に、互いに気遣いをしていれば、ストレスは少なくなるのだ。
あなたは、普段、気遣いをしていますか?
人間関係をいい状態にするために、みんなで気遣いをしましょう。
みんなで、気遣いを楽しみましょう!!
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友達との人間関係、家族の人間関係、会社内の人間関係、社会全体の人間関係をいい状態にする上でも重要だ。
だが、重要だと分かっていても、実際に行なえる人は、少ないような気がする。
先日、電車に乗っていた。
シートは全て埋まり、立っている人も何人かいる。
優先席はお年寄りで埋まっていたが、その中に、35歳くらいの女性が座っていた。
見た目は「いわゆる普通の人」だ。
ある駅で、65歳くらいのお年寄りが乗ってきた。
その人は優先席の方へ行き、その「いわゆる普通の人」の前に立っていた。
オイラは、どうなるのか「チラッ、チラッ」と見ていた。
「いわゆる普通の人」は、うつむいている。
「眠ってるフリなんじゃないの~?」と思いながら、オイラは「チラッ、チラッ」と見ていた。
しばらく経っても、「いわゆる普通の人」は、うつむいたままだ。
「気付かないフリなんじゃないの~?」と思いながら、オイラは「チラッ、チラッ」と見ていた。
その状態が20分くらい続いたが、オイラの心の叫びが通じたのか、「いわゆる普通の人」は顔を上げた。
そして、座ったまま、そのお年寄りに「座りますか?」と声をかけた。
だが、そのお年寄りは、「次の駅で降りるから大丈夫よ」と言った。
結局、「いわゆる普通の人」は、席を譲らなかった。
お年寄りは、次の駅で降りるまで、立ったままだった。
気遣いとは何ぞや?
この場合、まず、「優先席に座ってるなら、うかうか眠ってるな!」というのがある。
気遣いをするためには、常に、周りの状況を察知している必要がある。まして、優先席に座っているなら、なおさらだ。
それと席を譲ろうと思うなら、重要なのは、「譲ろうとすること」ではなく、「実際に譲ること」だ。
相手が遠慮することを考えて、「たとえ相手が遠慮しても、確実に席を譲れるやり方」で、席をすすめなければ意味がない。
座ったままではなく、立ち上がって言うべきだし、「座りますか?」なんて「質問」していないで、「どうぞ座ってください」と、はっきり言い切ることが大事なのだ。
さらに言うと、相手が遠慮しても、「どうぞ、どうぞ」と言って、とにかく座らせるのだ。
相手は遠慮するに決まっている。
それを考えて、確実に席を譲るのが、この場合の気遣いなのだ。
また、バスで、たまに見かける光景がある。
詰めて座れば、もう一人座れるのに、なかなか詰めようとしない人がいる。
気遣いとは何ぞや?
人が乗ってきたら、すぐに席を詰めてスペースをつくるのだ。
「ちょっと詰めてもらえますか?」と言われたら詰めるとか、相手が近づいてきたらスペースをつくるということではない。
相手の立場に立って考えれば分かるはずだ。
「ちょっと詰めてもらえますか?」なんて言いづらいし、スペースがなければ、誰も近づいてこない。
何も言われなくても、相手が座れるように、スペースをつくってあげるのが、気遣いなのだ。
また、狭い歩道で相手と行き違うときや、自転車が人と行き違うとき、追い越すとき等に、「ぶつからないから、いいでしょっ!」という感じで、すれすれを通る人がいる。
たまに、「わざとだろ!」っていうくらい、まっすぐ進んでくる人もいる。
気遣いとは何ぞや?
この場合の気遣いとは、相手に不快感を与えないように、また、相手に安心感を与えるように、「ちゃんと気遣いしてますよ」っていうくらいの距離を開けてすれ違うことだ。
こういうときは、「少しオーバーに感じるくらい」「少しわざとらしいくらい」がちょうどいいのだ。
この間、バス停でバスを待っていたら、右から、杖をついた、おばあさんが近づいてきた。
その人は、おぼつかない足取りで、非常にゆっくりと歩道を歩いてくる。
反対からは、自転車が近づいてきた。
どうなるのかと思って見ていると、その自転車は、すれ違うだいぶ前で止まり、そのお年寄りが通り過ぎるのを待っていた。
そして、お年寄りが確実に通り過ぎてから、進んでいった。
オイラは、「ほほ~」と思った。
気遣い。
それは、人間関係をいい状態にするための知恵だ。
互いに気遣いをしなければ、人と人はぶつかってしまう。
物理的にぶつかることもあれば、人間関係がぶつかることもある。
だが、常に、互いに気遣いをしていれば、相手とぶつかることはない。
「気遣いをするのは面倒くさい」と思うかもしれない。
だが、互いに気遣いをしないからこそ、人間関係がストレスになるのだ。
世の中の全ての人が、常に、互いに気遣いをしていれば、ストレスは少なくなるのだ。
あなたは、普段、気遣いをしていますか?
人間関係をいい状態にするために、みんなで気遣いをしましょう。
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