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自分の感性を大事にする話

個性、感性、長所を伸ばそう
04 /07 2019
 キ~ン コ~ン カ~ン コ~ン………

 放課後の校庭で、子供たちが元気に遊んでいる。

 小学生、特に低学年の子供には、個性的な子供が多い。


 近頃の学校では、「個性の伸長」ということが言われているようだ。

 世の中には、「個性的な人」が必要ということだ。つまり、「多様な人間」が必要ということだ。


 人によっては、「私は普通でいい」という「控えめな人」がいるが、オイラは「普通は嫌」だ。

 他の人が「普通」であることは、別にいいのだが、自分は嫌なのだ。

 別に「奇抜さ」を求めているわけではないが、いちいち「普通」を意識し、それに合わせるのは、息苦しい。もっと、自然体でいたいのだ。


 オイラの考えはともかく、今の世の中には、「個性的な人」が必要なのだ。

 だから、学校で「個性の伸長」と言っているのだ。


 この「個性」を伸ばすためには、「感性」を意識する必要がある。

「観念的」にならず、自分の「感性」に従って様々な選択をし、行動していれば、その人は「個性的な人」になる。

 だが、ほとんどの人は、成長するに従って、周りの目を気にするようになり、「観念的」になり「感性」に従わなくなる。

 そして、「個性」のない「普通の人」になる。


 男女によって違いがあるし、個人差もあるが、男の子は、大体、小学校3年生ころまでは、「感性」に従って行動しているように思う。

 そして、4年生ころから、周りの目を気にするようになるように思う。

 オイラはそうだった。


 小学校3年のとき、図工の授業で、紙粘土で「お面」をつくった。

「お面」でも「かぶと(かぶり物)」でもよかったのだが、オイラは、「クモのかぶと」をつくった。

 何で「クモ」なのか?

 それは分からない。

 オイラの「感性」が、そうさせたのだ。

 この作品を見た、親の知り合い(別の学校で図工の先生をやっている)は、「これはいいね~」と気に入ってくれた。

 しょせん子供がつくったものだから、技術的には、どうということはないのだが、その「奇抜さ」や「大胆さ」に、面白みを感じていたようだ。

 今考えると、オイラもそう思う。


 だが、小学校4年くらいから、オイラは、周りの目を気にするようになった。

「自分の感性に従う」よりも、「普通に合わせること」を意識するようになったのだ。


 小学校5年のとき、図工の授業で、木で「ハンガー(のようなもの)」をつくった。

 もちろん、どんな絵を描いてもいいし、どんなデザインでもいいのだが、オイラは、無難なものをつくった。

 それは、今のオイラからすると、面白いものではない。

 オイラは、周りの目を気にするようになって、「感性」に従うのではなく、「観念的」になり、「普通」に合わせるようになったのだ。


 中学校一年のとき、友達からCDを借りた。

 それは、CMソングのコンピレーションアルバムだったのだが、その中に、「すごくいい」と思う曲があった。

 デイブ・ブルーベックの「テイクファイブ(ジャズ)」だ。

 そのCDの、その他の曲はポップスだ。

 ポップスを聴くつもりで借りたCDに「テイクファイブ(ジャズ)」が入っていたのだ。

 そして、その曲を「すごくいい」と思ったのだ。


 だが、そのころのオイラは、周りの目を気にするようになっていたから、

「こんな曲を聴くのはダサイのではないか?」

「この曲を聴いていることを、みんなが知ったらどうしよう?」

などと考えた。

 そして、結局、そのCDの何曲かは、カセットテープにダビング(コピー)したが、「テイクファイブ」はダビングしなかった。


 中学校3年くらいから、再び、オイラは周りの目を気にしなくなっていった。

 周りの目を気にしなくなるにつれて、再び「感性」に従うようになっていった。

 そして、「感性」に従うようになるにつれて、頭の片隅に「テイクファイブ」が「ちらつく」ようになった。

「あの曲、いいと思ったんだけどなぁ~」「なんてタイトルだっけな~」「ダビング(コピー)しておけばよかったな~」「もったいないことしたな~」

 たまに、そう思うときがあったのだ。


 23歳のとき、旅行でオーストラリアへ行った。

 辞書を買うために、日本語の本を販売している本屋へ行った。

「辞書はどこ~。辞書はどこ~」と探していると、

「んっ!!」

「おっ!?」

「おおおおおおーっ!?」

「あの曲じゃーーん!?(驚き&超感動!!)」

 そう。たまたま、店のスピーカーから「テイクファイブ」が流れていたのだ。


「おおおおお~。どうしよう!?」

 一瞬考えたオイラは、「とりあえず店員(日本人)に聞こう」と思った。

「店員が知っているわけがない」と思ったが、このタイミングを逃したら、次はいつ、この曲に出会えるか分からない。

 そう思って、とりあえず聞いてみた。


 すると、以外にも、その店員は知っていた。

 店でかけていたのは、ラジオではなくCDだったのだ。

 店員は、一端局を止めて曲名を確認し、「デイブ・ブルーベックのテイクファイブです」と教えてくれたのだ。

「うおおおおおおおお~!?」


 オイラは、とりあえず店を出た。

 そして、CDショップを探した。

 そして、「テイクファイブ」を探し、それを買った。

 自分で封印した「感性」を、取り戻した瞬間だった。


 これに似た経験がある人は、いるのではないか?

「観念的」になり、自分の「感性」を封印してしまった経験がある人、また、自分の「感性」を取り戻した経験がある人は、いるのではないか?


 だが、多くの人は、周りの目を気にし、「観念的」になり、自分の「感性」を押さえ、「普通」に合わせたままのように思える。

 オイラに言わせれば、それは「非常に、もったいないこと」だ。

 そんな人生、つまらないじゃないか。

 自分の「感性」を完全に押さえ込んだら、それは、「自分であって、自分ではない」のだ。

 特に、今では、学校で「個性の伸長」と言っているくらいなのだ。


 みんな!!

 自分の「感性」に従ってしまおう!!

 自分の「個性」を伸ばしてしまおう!!

 本当の自分になってしまおう!!

 自分を創るのは、自分なのだ!!


※デイブ・ブルーベックのテイクファイブとは、この曲だ!!


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長所と短所は表裏一体

個性、感性、長所を伸ばそう
03 /24 2019
「長所は同時に短所であり、短所は同時に長所でもある」

 この言葉の意味が分かりますか?


 自分の長所を知り、それを生かすことは、より良い人生を歩む上で不可欠です。

 また、組織をまとめるときには、人をまとめる必要がありますが、人をまとめるときには、それぞれの長所を見抜き、それを生かす形でまとめる必要があります。

 ですから、自分や他人の長所を知ることは、とても重要なことなのですが、人は、得てして短所に目を向けてしまいます。


 ですが、先ほど言ったように、長所は同時に短所であり、短所は同時に長所でもあります。

 例えば、「大きなカバン」があるとします。

「大きなカバン」の長所は、「大きいこと」です。

「大きいから、たくさんの荷物を運ぶことができる」、これが長所です。

 ですが、この「大きい」というのが短所にもなります。

 まず、運ぶのが大変ですし、使わないときは、収納するスペースを多く必要とします。

 旅行用の大きなスーツケースは、その典型だと言えます。


 逆に、「小さいカバン」の長所は、「小さいこと」です。

「小さいカバン」は、持ち運びが便利ですし、使わないときも、収納するスペースに困りません。

 ですが、小さいので、当然、少しの荷物しか運ぶことができません。つまり、「小さいこと」が短所になるわけです。


 このように、「長所と短所は表裏一体」なのですが、これは、もちろん人間にも当てはまります。

 例えば、「積極的に行動する人」がいるとします。

 この人の長所は、「積極的」なところです。

 ですが、「積極的に行動する」というのは、見方を変えると、「じっくり考えることができない」ということでもあります。

 逆に、「じっくり考えることができる人」は、「じっくり考えることができる」のが長所ですが、見方を変えると「消極的な人」になります。

「話し上手」は、見方を変えると「調子がいい人」「八方美人」になりますし、「寡黙な人」は、「つまらない人」になります。

 この他、どのような長所でも、見方を変えると短所になりますし、どのような短所でも、見方を変えると長所になるのです。


 このようなことを頭にいれておくと、自分や他人の長所を見つけやすくなるのですが、特に、「人の長所を見抜く」というのは、人をまとめる上で、つまり、組織をまとめる上で不可欠なので、昔の人も徹底して行なっています。


 戦国武将の武田信玄は、人を使うのがとても上手かったようです。

 信玄の家来に、岩間大蔵左衛門という人がいました。

 彼は、非常に臆病だったので、周りの人は、みんな「あんな臆病者には扶持を与えるべきではない。早く暇をお出しになればいいのに」と言っていた。

 信玄は、そんな彼に「内部スパイ」のような役を与え、「すべて家中の悪事を内定し、わしに報告せよ。もし隠していることが分かったら、お前を死罪にするぞ」と言った。

 大蔵左衛門は、もともと臆病者だから、死罪になることを恐れて、何もかも聞き出して信玄の耳にいれたから、これはこれで立派に役立ったということである。

 信玄は、「臆病」という短所を上手く活用したのです。


 その信玄は、こう言っています。

「自分が人を使うのは、人そのものを使うのではなく、その人の特徴とする業(わざ)を使うのだ」と。


 徳川家康にまつわる話もあります。

 ある戦いのとき、日向大和(ひなたやまと)の相備衆七人が、一度も戦場に駆け出さなかった。

 家康は、「あの者どもは臆病だ。改易せよ」と言った。

 今井九兵衛は、「臆病な振る舞いもっともなことです。信玄の家来であった時代にも、あの者たちは一度も戦場の功をたてたことはありません」と言った。

 家康は「それほどの者ならば、なおのこと役に立つまい」と言った。

 九兵衛は、「しかし、信玄はことのほか厚い待遇をしておりました。臆病者は方々へ使いに出しておられました。勇猛な者は、使いにやられた後に合戦にでもなれば、使いにやられたことを不満に思います。ところが臆病者は、喜んで使いに出かけます。使いにいった先の関所や舟渡しで、なにかいざこざがおこるときは、たとえ頭をぶたれるような侮辱にあっても、我慢して使いの任務を一段と上手くやってのけるということで、厚く待遇しておられたのです」と言った。

 家康は手をうって「なるほど、もっともなことだ」と言って、その臆病者を使者の役として召し使った。

 このように、家康も、「臆病」という武士にとっては致命的な短所を、有効に活用したのです。


 このように、「長所は同時に短所であり、短所は同時に長所でもある」ということを理解していれば、長所を見つけやすいですし、それができるので、「人をまとめること」も「自分の人生をより良くすること」もできるのです。

 自分や相手の長所を知るためには、まず、「自分や相手を肯定的に捉えること」「自分や相手のいい部分に目を向けること」が根本です。

 そして、「長所と短所は表裏一体」ということを考えれば、長所が見えてくるのです。


 あなたは、自分の長所、短所を理解していますか?

 身近にいる人の長所、短所を理解していますか?

 それらを理解すれば、あなたは、自分の人生を、より良いものにすることができるのです。


 ※長所とは、「人と比較して勝っている能力」のことではなく、「その人の様々な能力の中で、特にすぐれている能力」のことなので、誰にでも長所はあります。

 例えば、自分以外は、みんなテストの点が、どの教科も90点以上で、自分だけ、国語35点、算数57点、理科42点、社会46点だったとします。

 この人に長所はないのかというと、そんなことはありません。

 この人の長所は、算数です。

 人と比較して勝っていようが、劣っていようが、生きていくためには、自分の長所(自分の様々な能力の中で、特にすぐれている能力)を生かすしかありません。

 この人の場合、基本的には算数の能力に着目し、それを生かして生きていくのがいいということです。



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伊藤 豪

こんにちは、大和思想の著者、共存共栄研究センター代表の伊藤豪です。
当ブログでは、大和思想について、ブログ形式で説明したいと思います。

大和思想を読んだことがある人は、より実践的なことが理解できるようになります。
大和思想を読んだことがない人は、大和思想の全体像が理解できるようになります。

大和思想を実践して、みんなで共存共栄の世の中を実現させましょう!