露出が多い服装の話
セックス的な話
ガタンゴトン… ガタンゴトン… ガタンゴトン…
「次は~、府中。府中でございます。お降りのお客様は~…」
新宿で電車に乗ったときから、ずっと身動きができないほど満員だったが、次の駅で、だいぶ空いてくる。
電車が止まり、扉が開くと、大勢の人がホームへ流れ出た。
「ふぅ~。やっと楽になったというか…、やっと普通になったというか…」
オイラの家は、まだ先なので、扉の端に立ち、なんとなくホームを見ていた。
すると、左から、やたら短いスカートをはいた女子高生が歩いてきた。
「ふ~ん…」と思いながら、オイラは、なんとなく見ていた。(オイラは常に自然体なのだ!)
オイラの目の前にベンチがあったので、その女子高生は、そのベンチに座った。
「ふ~ん…」と思いながら、オイラは、なんとなく見ていた。(オイラは常に冷静なのだ!)
すると、どこからか視線を感じる。
「んっ!」
その女子高生の隣に座っている女性が、こちらを「じー」っと見ているのだ。
オイラもつられて、その人を「じー」っと見た。
目と目が合った。
「………」
プシュ~
扉が閉まり、電車は、静かに動きだした。
あの人は、何でオイラを見ていたんだろう?
もしかすると、「このエロおやじが!!」と思って見ていたのだろうか?
それとも、「こ、この人ステキ!!」と思って見ていたのだろうか?
ん~……。冷静に考えると、「このエロおやじが!!」だろうな~。
「別にいーけど…」
やたら短いスカートをはいた女の人がいるときに、そこに意識が向くのは普通だ。
それは「反射」である。
見ないようにするか、気にせず見るかは別として、第一段階で意識してしまうのは、反射なのだ。
批判を恐れずに言おう。
オイラは、「露出が多い服装はよくない」と思っている。
「露出が多い服装」を肯定的に捉えている女の人は、それを「かわいい~」「今どき~」「普通~」と捉えているのだろうが、それは、あくまで「おんな目線」のことだ。
「男の目線」は違う。男は、少なからず「エロ目線」で見ている。
「エロ目線で見る」のではなく、「エロ目線で見てしまう」のだ。
これは「反射」なのだ。
「露出が多い服装はよくない」と思う理由は、それが、少なからず男の性欲を刺激するからだ。
基本的に、人間は、落ち着いた状態、冷静な状態のときの方が、正しい判断や行動ができるし、いいパフォーマンスをすることができる。
だから、世の中に、性欲に限らず、人間の欲を刺激する情報が溢れているのは、いいことではない。
一つ一つの刺激は小さくても、そのような情報があまりにも溢れていると、人間は、少しかもしれないが、確実に、落ち着いた状態、冷静な状態ではなくなるのだ。
「露出が多い服装」は、男を少なからず、落ち着いた状態、冷静な状態からずらしてしまう。だから、よくないと思うのだ。
それと、「露出が多い服装」「セクシャルな服装」をしている女の人が多いと、女性を性の対象として見る傾向が強くなると思われるが、それは女性にとっていいことではない。
ちょっと古い話だが、アメリカで実際に起きた話がある。
治安が悪い地域を、売春婦が「はだけた服装」で歩いていた。
そして、その女性は強姦された。
裁判になったが、被告人は、有罪にならなかった。
裁判官は、「治安が悪い地域を『はだけた服装』で歩いている方が悪い」と言ったのだ。
これは、極端な例かもしれないが、裁判官の発言は、あながち間違いとは言えない。
性欲というコントロールが難しい導火線に火をつけておいて、何もするなといっても限界があるのだ。
「露出が多い服装」を「かわいい~」「今どき~」「普通~」と言う人がいるが、そういう人は、もし裸で歩くのが「かわいい~」「今どき~」「普通~」と言われたら、裸で町を歩くのだろうか?
「露出が多い服装」を肯定的するとしても、どこかに限界があるはずなのだ。
オイラの考えを代弁するような記事が、2016年6月30日のAFPニュース(発信地:ニューヨーク)にある。
14~19歳の女性が対象の米ミスコンテスト「ミス・ティーンUSA」での水着審査がこのたび廃止となった。
ビキニ姿での大会出場は性差別的で屈辱的との長年にわたる批判への対応とみられる。今後はビキニに代わってスポーツウエアでの審査が採用される。
ミス・ティーンUSAの公式ウェブサイトには、「フェミニズムと男女平等がますます重要となる社会において、女性がビキニ姿でステージに登場することは時代遅れ」とのコメントが掲載された。
コンテストを運営するミス・ユニバース機構は、今後について、イブニングウエアとスポーツウエアでの審査および「内面の美しさ」を審査するとしており、「ミス・ティーンUSAでのスポーツウエアへの変更は、搾取的なイメージの低減と、若い出場者らにとっては体の健康がより重要であることを伝えるメッセージ」だとしている。
現ミス・ティーンUSAのキャサリン・ハイクさんも今回の変更を歓迎するコメントを発表した。
ほら、ほら、ほら!
オイラが言っていることは、正しいじゃないか!!
このことを、大和思想の観点で説明すると次のようになる。
大和思想における「いいこと(正しいこと)」とは、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を維持、つくりだす行為」のことだ。
そして、「悪いこと(間違っていること)」とは、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す行為」のことだ。
この判断の基準に照らして、「露出が多い服装」は「いい」のか「悪い」のかを考えると、「男の性欲を刺激すること」「女性が性の対象として見られやすくなること」等が「『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっている」という理由で、「露出が多い服装」は「悪いこと(間違っていること)」になる。
判断は、人によって違うだろうが、オイラは、はっきり言おう。
「露出が多い服装」「セクシャルな服装」は良くないのだ!!
オイラの個人的な趣向では、裸で歩いてもらっても、ぜ~んぜんいいんだけどね~。ムフフ…。
大和思想を実践しているオイラは、優先順位の一番を「世の中全体」にしているのだ。
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「次は~、府中。府中でございます。お降りのお客様は~…」
新宿で電車に乗ったときから、ずっと身動きができないほど満員だったが、次の駅で、だいぶ空いてくる。
電車が止まり、扉が開くと、大勢の人がホームへ流れ出た。
「ふぅ~。やっと楽になったというか…、やっと普通になったというか…」
オイラの家は、まだ先なので、扉の端に立ち、なんとなくホームを見ていた。
すると、左から、やたら短いスカートをはいた女子高生が歩いてきた。
「ふ~ん…」と思いながら、オイラは、なんとなく見ていた。(オイラは常に自然体なのだ!)
オイラの目の前にベンチがあったので、その女子高生は、そのベンチに座った。
「ふ~ん…」と思いながら、オイラは、なんとなく見ていた。(オイラは常に冷静なのだ!)
すると、どこからか視線を感じる。
「んっ!」
その女子高生の隣に座っている女性が、こちらを「じー」っと見ているのだ。
オイラもつられて、その人を「じー」っと見た。
目と目が合った。
「………」
プシュ~
扉が閉まり、電車は、静かに動きだした。
あの人は、何でオイラを見ていたんだろう?
もしかすると、「このエロおやじが!!」と思って見ていたのだろうか?
それとも、「こ、この人ステキ!!」と思って見ていたのだろうか?
ん~……。冷静に考えると、「このエロおやじが!!」だろうな~。
「別にいーけど…」
やたら短いスカートをはいた女の人がいるときに、そこに意識が向くのは普通だ。
それは「反射」である。
見ないようにするか、気にせず見るかは別として、第一段階で意識してしまうのは、反射なのだ。
批判を恐れずに言おう。
オイラは、「露出が多い服装はよくない」と思っている。
「露出が多い服装」を肯定的に捉えている女の人は、それを「かわいい~」「今どき~」「普通~」と捉えているのだろうが、それは、あくまで「おんな目線」のことだ。
「男の目線」は違う。男は、少なからず「エロ目線」で見ている。
「エロ目線で見る」のではなく、「エロ目線で見てしまう」のだ。
これは「反射」なのだ。
「露出が多い服装はよくない」と思う理由は、それが、少なからず男の性欲を刺激するからだ。
基本的に、人間は、落ち着いた状態、冷静な状態のときの方が、正しい判断や行動ができるし、いいパフォーマンスをすることができる。
だから、世の中に、性欲に限らず、人間の欲を刺激する情報が溢れているのは、いいことではない。
一つ一つの刺激は小さくても、そのような情報があまりにも溢れていると、人間は、少しかもしれないが、確実に、落ち着いた状態、冷静な状態ではなくなるのだ。
「露出が多い服装」は、男を少なからず、落ち着いた状態、冷静な状態からずらしてしまう。だから、よくないと思うのだ。
それと、「露出が多い服装」「セクシャルな服装」をしている女の人が多いと、女性を性の対象として見る傾向が強くなると思われるが、それは女性にとっていいことではない。
ちょっと古い話だが、アメリカで実際に起きた話がある。
治安が悪い地域を、売春婦が「はだけた服装」で歩いていた。
そして、その女性は強姦された。
裁判になったが、被告人は、有罪にならなかった。
裁判官は、「治安が悪い地域を『はだけた服装』で歩いている方が悪い」と言ったのだ。
これは、極端な例かもしれないが、裁判官の発言は、あながち間違いとは言えない。
性欲というコントロールが難しい導火線に火をつけておいて、何もするなといっても限界があるのだ。
「露出が多い服装」を「かわいい~」「今どき~」「普通~」と言う人がいるが、そういう人は、もし裸で歩くのが「かわいい~」「今どき~」「普通~」と言われたら、裸で町を歩くのだろうか?
「露出が多い服装」を肯定的するとしても、どこかに限界があるはずなのだ。
オイラの考えを代弁するような記事が、2016年6月30日のAFPニュース(発信地:ニューヨーク)にある。
14~19歳の女性が対象の米ミスコンテスト「ミス・ティーンUSA」での水着審査がこのたび廃止となった。
ビキニ姿での大会出場は性差別的で屈辱的との長年にわたる批判への対応とみられる。今後はビキニに代わってスポーツウエアでの審査が採用される。
ミス・ティーンUSAの公式ウェブサイトには、「フェミニズムと男女平等がますます重要となる社会において、女性がビキニ姿でステージに登場することは時代遅れ」とのコメントが掲載された。
コンテストを運営するミス・ユニバース機構は、今後について、イブニングウエアとスポーツウエアでの審査および「内面の美しさ」を審査するとしており、「ミス・ティーンUSAでのスポーツウエアへの変更は、搾取的なイメージの低減と、若い出場者らにとっては体の健康がより重要であることを伝えるメッセージ」だとしている。
現ミス・ティーンUSAのキャサリン・ハイクさんも今回の変更を歓迎するコメントを発表した。
ほら、ほら、ほら!
オイラが言っていることは、正しいじゃないか!!
このことを、大和思想の観点で説明すると次のようになる。
大和思想における「いいこと(正しいこと)」とは、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を維持、つくりだす行為」のことだ。
そして、「悪いこと(間違っていること)」とは、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す行為」のことだ。
この判断の基準に照らして、「露出が多い服装」は「いい」のか「悪い」のかを考えると、「男の性欲を刺激すること」「女性が性の対象として見られやすくなること」等が「『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっている」という理由で、「露出が多い服装」は「悪いこと(間違っていること)」になる。
判断は、人によって違うだろうが、オイラは、はっきり言おう。
「露出が多い服装」「セクシャルな服装」は良くないのだ!!
オイラの個人的な趣向では、裸で歩いてもらっても、ぜ~んぜんいいんだけどね~。ムフフ…。
大和思想を実践しているオイラは、優先順位の一番を「世の中全体」にしているのだ。

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