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大和思想ってな~に? 2020年6月21日

大和思想
07 /01 2020
大和思想に対する疑問、質問を、こばちゃんがしている動画。
大和思想が、よく分かるようになります。


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大和思想を読もう

大和思想
12 /07 2018
大和思想 一章 ~ 六章


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大和思想とは

大和思想
12 /07 2018
大和思想とはどのような思想かを説明するために、大和思想の一章から、「大和思想とは」を抜粋します。


大和思想とは

「大和思想」とは、「『世の中の全ての人が、自ら率先して、普段自分が関わっている全体をまとめること』によって、『共存共栄の世の中』を実現させ、世の中の全ての人と共に『幸福』になる」という「思想」です。


 世の中の全ての人は「幸福」を求めています。

 ですから、人間は、「自分一人が『幸福』になること」を考えるのではなく、「世の中の全ての人と共に『幸福』になること」を考えるべきだと言えます。

 ですから、「大和思想」は、「世の中の全ての人と共に『幸福』になること」を「目的」に設定しています。


 また、「大和思想」では、「『世の中の全ての人と共に幸福になる』ためには、世の中は、『共存共栄の世の中』である必要がある」と考えます。

 ここで言う「共存共栄の世の中」とは、「人間」「動物」「植物」等、「『世の中に存在する全ての生物』が共に生き、共に栄える世の中」のことです。

 また、それは、「『世の中に存在する全ての生物』の『尊厳』が保たれている世の中(全ての生物が、『価値ある存在』『尊い存在』として、認められ、大切にされている世の中)」のことです。

 人間が「幸福」になるためには、「『自分の尊厳が保たれていること』によって得られる『精神的充足、安定』」が必要不可欠ですが、このような世の中であれば、世の中の全ての人の「尊厳」は、常に保たれています。

 ですから、世の中が「共存共栄の世の中」であれば、世の中の全ての人が、常に「幸福」を感じることができます。

 ですから、「大和思想」では、「『世の中の全ての人と共に幸福になる』ためには、世の中は、『共存共栄の世の中』である必要がある」と考えるのです。


 また、「大和思想」では、「『共存共栄の世の中を実現させ、維持する』ためには、世の中の全ての人が、自ら率先して、『普段自分が関わっている全体(集団、組織)をまとめる(共存共栄の世の中を維持している状態にする)』必要がある」と考えます。

 全ての人は、毎日、「家族」「地域社会」「友人の集まり」「学校」「会社」「国家」「世界」等、様々な「全体(集団、組織)」と関わっていますが、全ての人が、それらの「全体」にあって、ただ「なんとなく」過ごすのではなく、常に、「『その全体をまとめる』ための働きかけ(『その全体を共存共栄の世の中を維持している状態にする』ための働きかけ)」をしていれば、「効率良く『共存共栄の世の中』を実現させ、維持すること」ができます。

 ですから、「大和思想」では、「『共存共栄の世の中を実現させ、維持する』ためには、世の中の全ての人が、自ら率先して、『普段自分が関わっている全体をまとめる(共存共栄の世の中を維持している状態にする)』必要がある」と考えるのです。


 また、人間が「幸福」になるためには、「自分の『尊厳』を保つ(『自分が価値ある存在、尊い存在として、認められ、大切にされている状況』を保つ)」必要がありますが、「大和思想」では、「『自分の尊厳を保つ』ためには、常に、自ら率先して、『普段自分が関わっている全体をまとめるための働きかけ(共存共栄の世の中を維持している状態にするための働きかけ)』をして生きる必要がある」と考えます。

 どれだけ「自分の『尊厳』を保ちたい(『自分が価値ある存在、尊い存在として、認められ、大切にされている状況』を保ちたい)」と思っても、実際の「生き方」が「価値のない生き方」であったら、誰も、自分のことを「価値ある存在」「尊い存在」として認めてくれません。

「自分の『尊厳』を保つ」ためには、「自分の『尊厳』を保ちたい」と思うだけでなく、実際に「価値ある生き方」をする必要があるのです。

「常に、自ら率先して、『普段自分が関わっている全体をまとめるための働きかけ(共存共栄の世の中を維持している状態にするための働きかけ)』をして生きる」というのは、世の中の全ての人の「幸福」につながる「価値ある生き方」です。

 ですから、常に、そのような「生き方」をしていれば、「自分の『尊厳』を保つこと(『自分が価値ある存在、尊い存在として、認められ、大切にされている状況』を保つこと)」ができるのです。

 ですから、「大和思想」では、「『自分の尊厳を保つ』ためには、常に、自ら率先して、『普段自分が関わっている全体をまとめるための働きかけ(共存共栄の世の中を維持している状態にするための働きかけ)』をして生きる必要がある」と考えるのです。


 このように、「大和思想」は、「世の中の全ての人と共に『幸福』になること」を「目的」に設定し、「『世の中の全ての人と共に幸福になる』ためには、世の中は、『共存共栄の世の中』である必要がある」と考え、「『共存共栄の世の中を実現させ、維持する』ためには、世の中の全ての人が、自ら率先して、『普段自分が関わっている全体をまとめる』必要がある」と考え、そして、「『自分の尊厳を保つ』ためには、常に、自ら率先して、『普段自分が関わっている全体をまとめるための働きかけ』をして生きる必要がある」と考えるのです。


 世の中の全ての人が、自ら率先して、普段自分が関わっている「全体(集団、組織)」をまとめる(「共存共栄の世の中を維持している状態」にする)。

 そうすることによって、「共存共栄の世の中」が実現し、維持される。
 また、全ての人の「生き方」が「価値ある生き方」になる。

 そして、「共存共栄の世の中」が実現し、維持され、全ての人の「生き方」が「価値ある生き方」になることによって、世の中の全ての人が「幸福」になる。

 これが「大和思想の理論」なのです。


 ですから、世の中の全ての人が「大和思想」を持って(『大和思想の理論』に則って)生きれば、世の中の全ての人が「幸福」になれるのです。


 このように、「大和思想」とは、「『世の中の全ての人が、自ら率先して、普段自分が関わっている全体をまとめること』によって、『共存共栄の世の中』を実現させ、世の中の全ての人と共に『幸福』になる」という「思想」なのです。


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大和思想における人間の存在価値

大和思想
12 /07 2018
人間が幸福になる上で、自己肯定感を持つこと(自分には価値がある」「自分は価値ある人間だ」と思えること)は、必要不可欠です。

この自己肯定感を得るためには(自分は価値ある人間だと思えるためには)、「自分の価値を実感できる価値観」を持つ必要があります。

例えば、「綺麗な人には価値があり、そうでない人には価値はない」という価値観を持っている人が、「自分は綺麗ではない」と思っていたら、自分に価値を見出すことができません。

「お金持ちには価値があり、貧乏な人には価値はない」という価値観を持っている人が、「自分はお金持ちではない」と思っていたら、自分に価値を見出すことができません。

このことから分かるように、自己肯定感(「自分には価値がある」「自分は価値ある人間だ」という感覚)を得るためには、「自分の価値を実感できる価値観」を持つ必要があるのです。

さらに言うと、その価値観が客観的に考えて、明らかに正しい必要があるのです。


大和思想は「世の中の全ての人と共に幸福になること」を目的に設定しているので、大和思想の価値観は、客観的に考えて、明らかに正しいと言えます。

ですから、大和思想を持ち、それに則った生き方をすれば、誰でも、一生、自己肯定感を持つこと(自分には価値がある」「自分は価値ある人間だ」と思えること)ができます。


ここでは、この大和思想の価値観を説明するために、大和思想の一章から、「『大和思想』における人間の存在価値」を抜粋します。

人間が幸福になるためには、このような思想(価値観)を持ち、このような生き方をする必要があるのです。



「大和思想」における人間の存在価値

 全ての「社会的生き物」に共通して言えることですが、「社会的生き物」における「個体」の「存在価値」は、「自分が所属している『社会』に貢献して生きる」ところにあります。


「社会的生き物」には、「社会」をつくり、その中で生活する性質があります。

 ですから、「社会的生き物」における全ての「個体」は、自分が「望む」「望まない」にかかわらず、「社会を構成する一員」として「社会」の中で生活しています。

 これは、「『社会的生き物』における全ての『個体』は『社会』に依存している」ということであり、「『社会を存続させること』によってのみ、『生きること』と『種族を存続させること』ができる」ということです。

 ですから、どのような「社会的生き物」でも、その「社会」に所属している全ての「個体」は、当然のこととして、「『自分が所属している社会を存続させる』ための働きかけ」をしています。

 例えば、「アリ」「ハチ」「オオカミ」「ライオン」等は、その「社会(群れ)」に所属している全ての「個体」が、当然のこととして、「『自分が所属している社会(群れ)を存続させる』ための働きかけ」をしています。

 彼らは、自分が所属している「社会(群れ)」がなくなったら、「自分が生きること」も「種族を存続させること」もできなくなります。

 ですから、彼らは、当然のこととして、「『自分が所属している社会(群れ)を存続させる』ための働きかけ」をしているのです。


 このように、「社会的生き物」における全ての「個体」は「社会」に依存しているので、「社会的生き物」における全ての「個体」にとって、「『自分が所属している社会』を存続させること」は、「自分が生きること」と同じレベルで重要になります。

 ですから、「『自分が所属している社会の存続』に大きく貢献している個体」は、必然的に、その「社会」を構成する全ての「個体」にとって「価値ある存在」となります。

 逆に、「『その社会の存続』に貢献していない個体」は、「価値のない存在」となります。

 それどころか、そもそも「社会」は、その「社会」を構成する全ての「個体」の「働き」によって成り立っているので、「社会」に所属しているにもかかわらず、「その社会の存続」に全く貢献していなかったら、その「個体」は、その「社会」にとって「不必要な存在」となります。

 そのような「個体」は、「社会的生き物」の「本質」から言って、「存在している意味がない」のです。


 これらのことから分かるように、「社会的生き物」における「個体」の「存在価値」は、「自分が所属している『社会』に貢献して生きる」ところにあるのです。

「社会的生き物」における全ての「個体」は、「自分が所属している『社会』に貢献している」からこそ、「『自分が所属している社会を存続させるための働きかけ』をしている」からこそ、「存在価値」があるのです。


 さて、このように、「社会的生き物」における「個体」の「存在価値」は、「自分が所属している『社会』に貢献して生きる」ところにあるので、「人間の存在価値(『人間社会』における『個人』の存在価値)」も、当然、「『人間社会』に貢献して生きる」ところ、「『人間社会を存続させるための働きかけ』をして生きる」ところにあるのですが、「大和思想」における「人間の存在価値」は、そこから一歩進んだところにあります。


「大和思想」は、「世の中の全ての人と共に『幸福』になること」を「目的」に設定しています。

 また、「大和思想」では、「『世の中の全ての人と共に幸福になる』ためには、世の中は、『共存共栄の世の中』である必要がある」と考えます。

 ですから、「大和思想」における「人間の存在価値」は、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きる」ところにあります。

 つまり、「家族」「地域社会」「友人の集まり」「学校」「会社」「国家」「世界」等の、普段自分が関わっている「全体」において、「『自ら率先して、その全体をまとめるための働きかけ(その全体を共存共栄の世の中を維持している状態にするための働きかけ)』をして生きる」ところに、「人間の存在価値」があるのです。


 ですから、「大和思想」においては、どれだけ「能力が高い人」「成績がいい人」「容姿がいい人」「裕福な人」「有名な人」「強い権力を持っている人」であっても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」を全くしていなかったら、その人は、「価値のない存在」「不必要な存在」となります。

 逆に、どれだけ「能力が低い人」「成績が悪い人」「容姿が悪い人」「貧しい人」「有名でない人」「権力がない人」であっても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」をしているなら、その人は、「価値ある存在」「必要な存在」となります。


「大和思想」においては、人を押しのけ、世の中の「調和」を乱してまで「地位」や「名声」や「財産」を手に入れた人は、「価値のない存在」「不必要な存在」です。

 逆に、質素で目立たない生活をしていても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」をしているなら、その人は「価値ある存在」「必要な存在」なのです。


 また、「大和思想」においては、「『共存共栄の世の中の実現』に大きく貢献した人」「『共存共栄の世の中』に対する『貢献度』が高い人」「一生懸命、普段自分が関わっている『全体』をまとめている人」ほど、「より価値ある存在」「より価値ある人」です。


 また、「人間の存在価値」と言うと、人によっては、「『人間の価値』の高低」や「『全体をまとめる能力』の優劣」を強く意識し、それらを競おうとしますが、「大和思想」においては、それらを競うことは重要ではありません。

 なぜなら、「『人間の価値』の高低」や「『全体をまとめる能力』の優劣」にこだわると、「『よりできる人』には、より『価値』があり、『あまりできない人』には、あまり『価値』がない」という考えを持つようになり、「世の中の全ての人が『幸福』を感じられるようにする」という、「大和思想」の本来の趣旨からずれてしまうからです。

「能力」「人を取り巻く状況」「運」等は人によって違うので、どれだけ「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」をしようと思っても、「上手く行なえる人」「上手く行なえない人」「たくさん行なえる人」「あまり行なえない人」がいます。

 ですが、たとえ「上手く」「たくさん」は行なえないとしても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」をしているなら、その人は、「『共存共栄の世の中』を支える重要な存在」です。

 そのような「重要な存在」である人を、「あまり『価値』がない」と考えるのは、「大和思想」の本来の趣旨からずれているのです。

 ですから、「大和思想」においては、「『人間の価値』の高低」や「『全体をまとめる能力』の優劣」を競うことは重要ではないのです。

 それよりも、「『自分にできること』を精一杯行なうこと」の方が重要なのです。

「『共存共栄の世の中の実現』に大きく貢献した人」「世の中に対する『貢献度』が高い人」は、それはそれで評価されるべきですが、それは、「『他人と競って勝ったから』評価される」のではなく、あくまで、「『共存共栄の世の中の実現に大きく貢献したから』評価される」のです。


 さて、このように、「大和思想」においては、「人間の存在価値」は、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きる」ところにあるのです。

 ですから、「大和思想」においては、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きている」なら、誰にでも「存在価値」があります。

「子供」「大人」「老人」「男性」「女性」「能力が高い人」「能力が低い人」「裕福な人」「貧しい人」「政治家」「国民」、また「職業」にかかわらず、「文化」にかかわらず、「国籍」にかかわらず、全ての人に「存在価値」があるのです。


「大和思想」における「人間の存在価値」は、このようなものなので、「大和思想」を持って生きれば、誰でも「『自分の存在価値』を実感すること」ができます。

 人間が「幸福」になる上で、「『自分の存在価値』を実感できること」は、とても重要ですが、「大和思想」を持って生きれば、誰でも、一生、「『自分の存在価値』を実感すること」ができるのです。


「大和思想」においては、「人間の存在価値」は、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きる」ところにあります。

 人間は、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きる」からこそ「存在価値」があるのです。


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「大和思想」における「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」

大和思想
12 /07 2018
全ての人は、普段の生活の中で、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を見分け、「悪いこと(間違っていること)」をしないようにしていますが、一体、何が「いいこと(正しいこと)」で、何が「悪いこと(間違っていること)」なのでしょうか?

それがはっきり分からなければ、知らないうちに「悪いこと(間違っていること)」をしてしまい、その結果、不幸になってしまうこともあります。

ですから、人間が幸福になるためには、、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を明確に理解する必要があります。

ここでは、何が「いいこと(正しいこと)」で、何が「悪いこと(間違っていること)」なのかを説明するために、大和思想の一章から、「大和思想」における「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を抜粋します。

人間が幸福になるためには、それらをしっかり見分け、「いいこと(正しいこと)」だけをして生きていく必要があるのです。


「大和思想」における「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」

 世の中の全ての人は、普段の生活の中で、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を見分け、「悪いこと(間違っていること)」をしないようにしていますが、ほとんどの人は、何が「いいこと(正しいこと)」で、何が「悪いこと(間違っていること)」なのかを明確に理解していません。

 ほとんどの人は、それらを明確に理解していないまま、それらを判断しているのです。

 ですが、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を明確に理解していなかったら、「いいこと(正しいこと)」だと思ってやったことが、実は「悪いこと(間違っていること)」であったり、悪気はないのに、気付かずに「悪いこと(間違っていること)」をしてしまったりすることがあります。

 また、誰かが「悪いこと(間違っていること)」をして、それを注意するときに、「それをやってはいけない理由」を明確に説明することができません。

 ですから、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を明確に理解することは、実際は、とても重要なことだと言えます。

 普段自分が関わっている「全体(集団、組織)」をまとめる(「共存共栄の世の中を維持している状態」にする)上でも、「自分の『尊厳』を保つ(『自分が価値ある存在、尊い存在として、認められ、大切にされている状態』を保つ)」上でも、とても重要なことだと言えるのです。

 つまり、人間が「幸福」になる上で、とても重要なことだと言えるのです。


 さて、このように、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を明確に理解することは、とても重要なことなのですが、実際に「いいこと(正しいこと)」「悪いこと(間違っていること)」とは、どのようなことを言うのでしょう?


「大和思想」は、「世の中の全ての人と共に『幸福』になること」を「目的」に設定しています。

 また、「大和思想」では、「『世の中の全ての人と共に幸福になる』ためには、世の中は『共存共栄の世の中』である必要がある」と考えます。

 ですから、先ほど説明したように、「大和思想」においては、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を維持、つくりだす物事」が「価値ある物事」で、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す物事」が「価値のない物事」です。


 そこから導き出すと、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を維持、つくりだす行為」が「いいこと(正しいこと)」になります。

 そして、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す行為」が「悪いこと(間違っていること)」になります。


 例えば、「物を盗むこと」や「人を殺すこと」は、誰でも「悪いこと(間違っていること)」だと考えますが、「大和思想」においては、その理由は、「それらは『共存共栄の世の中(世の中の調和)を乱す行為』だから」です。

 もし、「物を盗むこと」や「人を殺すこと」が、「悪いこと(間違っていること)」ではなく、「いいこと(正しいこと)」、もしくは「やってもいいこと」であるなら、いたるところで「盗難」や「殺人」が起こり、「共存共栄の世の中(世の中の調和)」は乱れます。

 そして、多くの人が「不幸」になります。

 ですから、それらは「悪いこと(間違っていること)」なのです。


 同じように、「自分勝手な行動」「わがままな生き方」「人を騙すこと」「約束を破ること」「人に悪い影響を与えること」「公序良俗に反する行為、服装をすること」「環境を破壊すること」「動植物をむやみに殺すこと」等も、「『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す行為」だから「悪いこと(間違っていること)」なのです。

 それらを少し行なっただけでは、「共存共栄の世の中(世の中の調和)」は乱れません。

 ですが、多くの人が、それらを行なったら、「共存共栄の世の中(世の中の調和)」は、確実に乱れます。

 そして、「共存共栄の世の中(世の中の調和)」が乱れてしまったら、多くの人が「不幸」になるのです。

 ですから、それらは「悪いこと(間違っていること)」なのです。


 逆に、「『協調性』を持って人に接すること」「『家族』『会社』『国家』等における『自分の役割』をしっかり果たすこと」「困っている人を助けること」「子供をしっかり育てること」「『社会全体のこと』を考えて行動すること」「動植物をむやみに殺さないこと」等は、「いいこと(正しいこと)」です。

 それらを少し行なっただけで「共存共栄の世の中(世の中の調和)」が実現するわけではありません。

 ですが、それらの行為は、少なからず、「『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を実現させ、維持すること」につながっています。

 つまり、それらは、少なからず、「世の中の全ての人を『幸福』にすること」につながっているのです。

 ですから、それらは「いいこと(正しいこと)」なのです。


 このように、「大和思想」においては、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を維持、つくりだす行為」が「いいこと(正しいこと)」なのです。

 そして、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す行為」が「悪いこと(間違っていること)」なのです。


 また、「大和思想」においては、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」が明確なので、「正義」という言葉の意味も明確です。

「正義」とは、単純に言うと「正しいこと」という意味で、特に、「間違っていること」に対して、その「正しさ」を強調するときに使われます。

 ですが、この「正しい」というのが、「どういう意味で『正しい』のか」が明確でなければ、「正義」の意味も明確になりません。

 多くの場合、「いいこと(正しいこと)」の意味が明確でないまま「正義」という言葉が使われているので、「正義」の意味も曖昧です。

 ですが、「大和思想」においては、「いいこと(正しいこと)」の意味が明確なので、「正義」の意味も明確です。


「大和思想」においては、「いいこと(正しいこと)」とは、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中』を維持、つくりだす行為」のことです。

 ですから、「大和思想」における「正義」とは、「『共存共栄の世の中(世の中の調和)を維持、つくりだしている』という意味で正しいこと」になります。

 ですから、「正義のために戦う」「正義のために立ち上がる」という言い方がありますが、「大和思想」においては、それらは、「『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ために戦う」「『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ために立ち上がる」という意味になるのです。

 このように、「大和思想」においては、「正義」の意味も明確なのです。


 さて、このように、「大和思想」においては、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」が明確なのです。

 ですから、「大和思想」を持って生きれば、「それは『いいこと』なのか、それとも『悪いこと』なのか?」と悩むことはありません。

 また、一生、「悪いこと(間違っていること)」をしないで生きていくことが可能です。

 また、誰かが「悪いこと(間違っていること)」をして、それを注意するときに、「それをやってはいけない理由」を明確に説明することができます。

「それは『共存共栄の世の中(世の中の調和)を乱す行為』だからいけません」

「それをすると『共存共栄の世の中(世の中の調和)』が乱れ、多くの人が『不幸』になるからやめなさい」

 このように言うことができるのです。


「大和思想」においては、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を維持、つくりだす行為」が「いいこと(正しいこと)」です。

 そして、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す行為」が「悪いこと(間違っていること)」なのです。


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伊藤 豪

こんにちは、大和思想の著者、共存共栄研究センター代表の伊藤豪です。
当ブログでは、大和思想について、ブログ形式で説明したいと思います。

大和思想を読んだことがある人は、より実践的なことが理解できるようになります。
大和思想を読んだことがない人は、大和思想の全体像が理解できるようになります。

大和思想を実践して、みんなで共存共栄の世の中を実現させましょう!