忠言は耳に逆らえども、行ないに利あり
幸福になるための知恵
「何であの人は、人の意見を受け入れないんだろう?」
そう思ったことがある人は、多いのではないか。
だが、そう言うあなた!!
あなたは、人の意見を、素直に受け入れることができるだろうか?
誰でも子供の頃は、間違いや失敗があると、親や教師や年長者等に指摘されるので、自然と、それを改める。
だが、ある程度の年齢になると、間違いや失敗があっても、誰も指摘してくれなくなるので、「それを改めなければ」と考えなくなる。
人によっては、指摘されても「別にい~じゃん!」「そんなの私の勝手でしょっ!」と言って反発し、人の意見を受け入れない。
だが、人の意見を頑に拒んでいたら、成長できないし、大きな失敗をすることにもなる。
「良薬口に苦し」という言葉がある。
もとは、「忠言は耳に逆らえども、行ないに利あり。良薬は、口に苦けれども病に利あり」という言葉だ。※忠言=過ちや間違いを指摘する言葉
この言葉で重要なのは、前半の「忠言は耳に逆らえども、行ないに利あり」だ。
忠言(過ちや間違いを指摘する言葉)は、誰も聞きたくない。
だが、忠言を受け入れると、自分の振る舞いが正されるので、自分の人生、状況、携わっている組織等が良くなる。
逆に言うと、忠言を受け入れないと、大きな失敗をすることになる。
これは当然のことだ。
だが、しかし、忠言を受け入れるのは、なかなか難しい。
思わず反発してしまうこともあるし、ムキになって、頑に拒んでしまうこともある。
だから、昔の人は、いろいろ工夫して、みんなの意見を聞くようにしていたようだ。
岡山藩主の池田光政は、よく臣下の意見に耳を傾け、その意見を採用したという。
ある寒い夜、光政がみかんを食べているのを、侍医の塩見玄三が「夜中、冷たいものはよくありませぬ」と止めた。
光政は食べるのをやめて奥へ入ったが、「さてさて、危ないところであった」と独り言を言った。
侍女が聞きとがめて尋ねると、光政は言った。
「塩見玄三に注意され、あやうく『それしきのことは知っている!!』と言うところであった。もし、私がそう言ってしまえば、この後、だれが私に意見を言ってくれるであろうか。まったく危ないところであった」
藩主(殿様)が、「それしきのことは知っている!!」と言ってしまったら、周りの人は、忠言や意見が言いづらくなる。
そして、誰も忠言や意見を言わなくなったら、自分の過ちや失敗に気付くことができなくなる。
そして、それに気付くことができなくなったら、過ちや失敗を繰り返すことになるので、最終的には、自分の組織がダメになってしまう。
池田光政は、そのことを考え、感情的なことは言わないように努力したということだ。
福岡藩主の黒田長政は、毎月一度ずつ、重臣、軽輩でも有能、正直なものを七、八人集めて座談会を行なっていた。これは「釈迦の間の異見会」とか「腹立てずの会」とか言われていた。
会を始めるにあたって、全員が「互いに何を言われても腹を立てない」「言われたことに遺恨を抱かない」「ここで出た話題は他言しない」という三つの誓いを立ててから、藩政、家中のあれこれ、長政への批判、平生言いにくいことを何でも話し合った。
ときには、率直な批判を受けた長政が、思わずむっとすると、「これは殿、お顔の色が変わりましたが…」とやられ、あわてて「いや少しも腹はたてておらぬ」と顔色を直すこともあったという。
下の忠言に耳を傾けるのは、古来、明君の資格とされているが、自由な相互批判の場を、これほど組織的に制度化した殿様は少ないのではないだろうか。
黒田長政は、率直な意見を聞くために、このような工夫をしていたわけだ。
「どのような意見でも、とにかく、人の意見を受け入れることがいい」ということではない。
場合によっては、全ての意見を退けてでも、断行しなければならないこともある。
だが、それは、感情的になって、正しい意見を無視することではない。
それらは、全く別物なのだ。
成功するため、大きな失敗をしないためには、意見を広く求める必要がある。
だが、様々な意見の中には、耳を背けたくなるようなものもある。
だが、それが事実なら、素直に受け入れる必要があるのだ。
「忠言は耳に逆らえども、行ないに利あり」なのだ。
←ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は、クリックよろしくお願いします。
そう思ったことがある人は、多いのではないか。
だが、そう言うあなた!!
あなたは、人の意見を、素直に受け入れることができるだろうか?
誰でも子供の頃は、間違いや失敗があると、親や教師や年長者等に指摘されるので、自然と、それを改める。
だが、ある程度の年齢になると、間違いや失敗があっても、誰も指摘してくれなくなるので、「それを改めなければ」と考えなくなる。
人によっては、指摘されても「別にい~じゃん!」「そんなの私の勝手でしょっ!」と言って反発し、人の意見を受け入れない。
だが、人の意見を頑に拒んでいたら、成長できないし、大きな失敗をすることにもなる。
「良薬口に苦し」という言葉がある。
もとは、「忠言は耳に逆らえども、行ないに利あり。良薬は、口に苦けれども病に利あり」という言葉だ。※忠言=過ちや間違いを指摘する言葉
この言葉で重要なのは、前半の「忠言は耳に逆らえども、行ないに利あり」だ。
忠言(過ちや間違いを指摘する言葉)は、誰も聞きたくない。
だが、忠言を受け入れると、自分の振る舞いが正されるので、自分の人生、状況、携わっている組織等が良くなる。
逆に言うと、忠言を受け入れないと、大きな失敗をすることになる。
これは当然のことだ。
だが、しかし、忠言を受け入れるのは、なかなか難しい。
思わず反発してしまうこともあるし、ムキになって、頑に拒んでしまうこともある。
だから、昔の人は、いろいろ工夫して、みんなの意見を聞くようにしていたようだ。
岡山藩主の池田光政は、よく臣下の意見に耳を傾け、その意見を採用したという。
ある寒い夜、光政がみかんを食べているのを、侍医の塩見玄三が「夜中、冷たいものはよくありませぬ」と止めた。
光政は食べるのをやめて奥へ入ったが、「さてさて、危ないところであった」と独り言を言った。
侍女が聞きとがめて尋ねると、光政は言った。
「塩見玄三に注意され、あやうく『それしきのことは知っている!!』と言うところであった。もし、私がそう言ってしまえば、この後、だれが私に意見を言ってくれるであろうか。まったく危ないところであった」
藩主(殿様)が、「それしきのことは知っている!!」と言ってしまったら、周りの人は、忠言や意見が言いづらくなる。
そして、誰も忠言や意見を言わなくなったら、自分の過ちや失敗に気付くことができなくなる。
そして、それに気付くことができなくなったら、過ちや失敗を繰り返すことになるので、最終的には、自分の組織がダメになってしまう。
池田光政は、そのことを考え、感情的なことは言わないように努力したということだ。
福岡藩主の黒田長政は、毎月一度ずつ、重臣、軽輩でも有能、正直なものを七、八人集めて座談会を行なっていた。これは「釈迦の間の異見会」とか「腹立てずの会」とか言われていた。
会を始めるにあたって、全員が「互いに何を言われても腹を立てない」「言われたことに遺恨を抱かない」「ここで出た話題は他言しない」という三つの誓いを立ててから、藩政、家中のあれこれ、長政への批判、平生言いにくいことを何でも話し合った。
ときには、率直な批判を受けた長政が、思わずむっとすると、「これは殿、お顔の色が変わりましたが…」とやられ、あわてて「いや少しも腹はたてておらぬ」と顔色を直すこともあったという。
下の忠言に耳を傾けるのは、古来、明君の資格とされているが、自由な相互批判の場を、これほど組織的に制度化した殿様は少ないのではないだろうか。
黒田長政は、率直な意見を聞くために、このような工夫をしていたわけだ。
「どのような意見でも、とにかく、人の意見を受け入れることがいい」ということではない。
場合によっては、全ての意見を退けてでも、断行しなければならないこともある。
だが、それは、感情的になって、正しい意見を無視することではない。
それらは、全く別物なのだ。
成功するため、大きな失敗をしないためには、意見を広く求める必要がある。
だが、様々な意見の中には、耳を背けたくなるようなものもある。
だが、それが事実なら、素直に受け入れる必要があるのだ。
「忠言は耳に逆らえども、行ないに利あり」なのだ。

スポンサーサイト