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大和思想における人間の存在価値

大和思想
12 /07 2018
人間が幸福になる上で、自己肯定感を持つこと(自分には価値がある」「自分は価値ある人間だ」と思えること)は、必要不可欠です。

この自己肯定感を得るためには(自分は価値ある人間だと思えるためには)、「自分の価値を実感できる価値観」を持つ必要があります。

例えば、「綺麗な人には価値があり、そうでない人には価値はない」という価値観を持っている人が、「自分は綺麗ではない」と思っていたら、自分に価値を見出すことができません。

「お金持ちには価値があり、貧乏な人には価値はない」という価値観を持っている人が、「自分はお金持ちではない」と思っていたら、自分に価値を見出すことができません。

このことから分かるように、自己肯定感(「自分には価値がある」「自分は価値ある人間だ」という感覚)を得るためには、「自分の価値を実感できる価値観」を持つ必要があるのです。

さらに言うと、その価値観が客観的に考えて、明らかに正しい必要があるのです。


大和思想は「世の中の全ての人と共に幸福になること」を目的に設定しているので、大和思想の価値観は、客観的に考えて、明らかに正しいと言えます。

ですから、大和思想を持ち、それに則った生き方をすれば、誰でも、一生、自己肯定感を持つこと(自分には価値がある」「自分は価値ある人間だ」と思えること)ができます。


ここでは、この大和思想の価値観を説明するために、大和思想の一章から、「『大和思想』における人間の存在価値」を抜粋します。

人間が幸福になるためには、このような思想(価値観)を持ち、このような生き方をする必要があるのです。



「大和思想」における人間の存在価値

 全ての「社会的生き物」に共通して言えることですが、「社会的生き物」における「個体」の「存在価値」は、「自分が所属している『社会』に貢献して生きる」ところにあります。


「社会的生き物」には、「社会」をつくり、その中で生活する性質があります。

 ですから、「社会的生き物」における全ての「個体」は、自分が「望む」「望まない」にかかわらず、「社会を構成する一員」として「社会」の中で生活しています。

 これは、「『社会的生き物』における全ての『個体』は『社会』に依存している」ということであり、「『社会を存続させること』によってのみ、『生きること』と『種族を存続させること』ができる」ということです。

 ですから、どのような「社会的生き物」でも、その「社会」に所属している全ての「個体」は、当然のこととして、「『自分が所属している社会を存続させる』ための働きかけ」をしています。

 例えば、「アリ」「ハチ」「オオカミ」「ライオン」等は、その「社会(群れ)」に所属している全ての「個体」が、当然のこととして、「『自分が所属している社会(群れ)を存続させる』ための働きかけ」をしています。

 彼らは、自分が所属している「社会(群れ)」がなくなったら、「自分が生きること」も「種族を存続させること」もできなくなります。

 ですから、彼らは、当然のこととして、「『自分が所属している社会(群れ)を存続させる』ための働きかけ」をしているのです。


 このように、「社会的生き物」における全ての「個体」は「社会」に依存しているので、「社会的生き物」における全ての「個体」にとって、「『自分が所属している社会』を存続させること」は、「自分が生きること」と同じレベルで重要になります。

 ですから、「『自分が所属している社会の存続』に大きく貢献している個体」は、必然的に、その「社会」を構成する全ての「個体」にとって「価値ある存在」となります。

 逆に、「『その社会の存続』に貢献していない個体」は、「価値のない存在」となります。

 それどころか、そもそも「社会」は、その「社会」を構成する全ての「個体」の「働き」によって成り立っているので、「社会」に所属しているにもかかわらず、「その社会の存続」に全く貢献していなかったら、その「個体」は、その「社会」にとって「不必要な存在」となります。

 そのような「個体」は、「社会的生き物」の「本質」から言って、「存在している意味がない」のです。


 これらのことから分かるように、「社会的生き物」における「個体」の「存在価値」は、「自分が所属している『社会』に貢献して生きる」ところにあるのです。

「社会的生き物」における全ての「個体」は、「自分が所属している『社会』に貢献している」からこそ、「『自分が所属している社会を存続させるための働きかけ』をしている」からこそ、「存在価値」があるのです。


 さて、このように、「社会的生き物」における「個体」の「存在価値」は、「自分が所属している『社会』に貢献して生きる」ところにあるので、「人間の存在価値(『人間社会』における『個人』の存在価値)」も、当然、「『人間社会』に貢献して生きる」ところ、「『人間社会を存続させるための働きかけ』をして生きる」ところにあるのですが、「大和思想」における「人間の存在価値」は、そこから一歩進んだところにあります。


「大和思想」は、「世の中の全ての人と共に『幸福』になること」を「目的」に設定しています。

 また、「大和思想」では、「『世の中の全ての人と共に幸福になる』ためには、世の中は、『共存共栄の世の中』である必要がある」と考えます。

 ですから、「大和思想」における「人間の存在価値」は、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きる」ところにあります。

 つまり、「家族」「地域社会」「友人の集まり」「学校」「会社」「国家」「世界」等の、普段自分が関わっている「全体」において、「『自ら率先して、その全体をまとめるための働きかけ(その全体を共存共栄の世の中を維持している状態にするための働きかけ)』をして生きる」ところに、「人間の存在価値」があるのです。


 ですから、「大和思想」においては、どれだけ「能力が高い人」「成績がいい人」「容姿がいい人」「裕福な人」「有名な人」「強い権力を持っている人」であっても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」を全くしていなかったら、その人は、「価値のない存在」「不必要な存在」となります。

 逆に、どれだけ「能力が低い人」「成績が悪い人」「容姿が悪い人」「貧しい人」「有名でない人」「権力がない人」であっても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」をしているなら、その人は、「価値ある存在」「必要な存在」となります。


「大和思想」においては、人を押しのけ、世の中の「調和」を乱してまで「地位」や「名声」や「財産」を手に入れた人は、「価値のない存在」「不必要な存在」です。

 逆に、質素で目立たない生活をしていても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」をしているなら、その人は「価値ある存在」「必要な存在」なのです。


 また、「大和思想」においては、「『共存共栄の世の中の実現』に大きく貢献した人」「『共存共栄の世の中』に対する『貢献度』が高い人」「一生懸命、普段自分が関わっている『全体』をまとめている人」ほど、「より価値ある存在」「より価値ある人」です。


 また、「人間の存在価値」と言うと、人によっては、「『人間の価値』の高低」や「『全体をまとめる能力』の優劣」を強く意識し、それらを競おうとしますが、「大和思想」においては、それらを競うことは重要ではありません。

 なぜなら、「『人間の価値』の高低」や「『全体をまとめる能力』の優劣」にこだわると、「『よりできる人』には、より『価値』があり、『あまりできない人』には、あまり『価値』がない」という考えを持つようになり、「世の中の全ての人が『幸福』を感じられるようにする」という、「大和思想」の本来の趣旨からずれてしまうからです。

「能力」「人を取り巻く状況」「運」等は人によって違うので、どれだけ「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」をしようと思っても、「上手く行なえる人」「上手く行なえない人」「たくさん行なえる人」「あまり行なえない人」がいます。

 ですが、たとえ「上手く」「たくさん」は行なえないとしても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」をしているなら、その人は、「『共存共栄の世の中』を支える重要な存在」です。

 そのような「重要な存在」である人を、「あまり『価値』がない」と考えるのは、「大和思想」の本来の趣旨からずれているのです。

 ですから、「大和思想」においては、「『人間の価値』の高低」や「『全体をまとめる能力』の優劣」を競うことは重要ではないのです。

 それよりも、「『自分にできること』を精一杯行なうこと」の方が重要なのです。

「『共存共栄の世の中の実現』に大きく貢献した人」「世の中に対する『貢献度』が高い人」は、それはそれで評価されるべきですが、それは、「『他人と競って勝ったから』評価される」のではなく、あくまで、「『共存共栄の世の中の実現に大きく貢献したから』評価される」のです。


 さて、このように、「大和思想」においては、「人間の存在価値」は、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きる」ところにあるのです。

 ですから、「大和思想」においては、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きている」なら、誰にでも「存在価値」があります。

「子供」「大人」「老人」「男性」「女性」「能力が高い人」「能力が低い人」「裕福な人」「貧しい人」「政治家」「国民」、また「職業」にかかわらず、「文化」にかかわらず、「国籍」にかかわらず、全ての人に「存在価値」があるのです。


「大和思想」における「人間の存在価値」は、このようなものなので、「大和思想」を持って生きれば、誰でも「『自分の存在価値』を実感すること」ができます。

 人間が「幸福」になる上で、「『自分の存在価値』を実感できること」は、とても重要ですが、「大和思想」を持って生きれば、誰でも、一生、「『自分の存在価値』を実感すること」ができるのです。


「大和思想」においては、「人間の存在価値」は、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きる」ところにあります。

 人間は、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きる」からこそ「存在価値」があるのです。


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伊藤 豪

こんにちは、大和思想の著者、共存共栄研究センター代表の伊藤豪です。
当ブログでは、大和思想について、ブログ形式で説明したいと思います。

大和思想を読んだことがある人は、より実践的なことが理解できるようになります。
大和思想を読んだことがない人は、大和思想の全体像が理解できるようになります。

大和思想を実践して、みんなで共存共栄の世の中を実現させましょう!